わたしのはなしの旅2

この前の日記で書いたつづき
不要なモノを切り捨てていくのではなく、共に生きること。「生きる」と書くととてもたいそうなことに言っちゃったなとか思いますが、

  • 胸に受けとめて、抱えていくこと。
  • 一緒に歩いていくこと。

と言葉を変えてみるとだいぶわたしにもわかる気がしました。すると、いろんなことに気付きが出てきました。

世の中は都合の悪いモノや、邪魔なモノ。そんなモノがたくさんある。
じぶんの周りでもたくさんありました。「見たくないなー」というモノや「なくなればいいのになー」というモノ。
そしてそれらに、イライラしたり、腹が立ったり…関係を遠ざけておきたいと考えるわたしがいました。

頭でわかっていても、嫌だと思う気持ちは本当にあるわけで。。。むつかしいですね。受けとめること。一緒に歩くこと。でもいいんじゃない?どろどろの感情をもつことだってある。それが人間だな。と思うのです。きれいなことだけ言えないよ。と。
けれど、その嫌なモノは確かにじぶんの中にも、まわりにもたくさんあること。そして、そんな中でわたしは生きている。ということを改めて思うこと。ここからはじまるのかもしれないなーなんて思いました。

そして、人から言われて「あーほんとだ!」と思ったのは、
「死んでしまった」それは必ずしもバッドエンドなのか。

わーすごい。いろんなことを考えられますね。

2003年にアヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞グランプリを取った山村浩二さんの代表作「頭山」
wさんに教えてもらいました。

山村浩二 - Wikipedia
これを見たわたしは死んでしまったことがバッドエンドだと感じました。

けど、これを見てこんなことを思いました。
結局、共に生きようが、死を選ぼうが。どっちでもいいんじゃないか。
わたし達が生きる自然の中で人間なんてちっぽけで、ただの生き物なわけで。生まれてきてどう生きようがどう死のうが、自然のなかではなんてことのない話なのかもしれない。それだから、どう生きるかどう死ぬかなんて好きにしなさいよ。ってすごく突き放しているのかな?とか。
もしくはもう、そんなのもどうでもよくて、色々あるけどじつはなーんてことのない中身のない話なのか?ほら、「ケチってだめよね。」「じぶんの頭に桜が咲くって、おもしろいっ!」「じぶんの頭の上の池に飛び込むとかへんなの!」とか。そういう話?

そんなことを考えました。
考えても考えても、すっきりするようで、ザラつきが残る。そんなお話だなーと思います。

そう、わたしのはなしの旅の中でなんにもないというのは、キーワードになっていると思いました!

そのはなしはまた後ほど。