ねておきて

決算とかの資料づくりでばたばたしてました。
この日記を書かないあいだにいろいろありました。こころの古傷が痛んだり、わらったり。けれどやっぱり前を向いて歩いています。最近「泣く」ということについて思い出しながら考えたことがありました。わたしはつらいとき、泣いているただろうか?ということです。よくお話のなかで、涙がかれるほど泣くという表現をみるけれど、実際わたしはそんなに泣いていたのか?と考えたのです。辛い時たしかに泣いていたけれど、そんな泣きすぎて涙が出ないというまで泣いていない気がする。若いころは泣いてたと思うんだけど…同じように今もこころの痛みは変わらないと思うんだけど…わたしは今だったらどうするのかなーと考えてみると、ひとりになってひとしきり泣いて、寝ていた気がする。寝て朝日を待っていた気がする。こころを刺激する感情は、ほんとうにしあわせという喜びや、つらい、さびしい。そんな悲しい気持ち。どちらの感情も連れてくる。ちゃんとこの感情を最後まで味わいたい。天にも昇るような、喜びと、光がこわくなるような、悲しみも。そして、その感じた思いはただなにもなく、無意味に感じることもあって、残るのは、意味だけ。ただ感じたことだけが、わたしだけのほんとうなんだ。という、からっぽも。
まだまだ歩く。朝を待って、歩く。
わたしは、きっとずっとひとりを感じているとおもう。